母方の祖母が6月22日の朝、逝った。享年91歳。意識が混濁する前に会えて良かった。当然、自分は孫にあたる訳で、幼い頃にかわいがられた記憶がやけに大きく残ってる。いい思い出しかない。母はほぼ毎日、半分老人ホーム半分病院(ああいう施設って正確にはなんて言うんでしょう?)に通って世話をしていたので、自分とはまた違った残像を抱いているんだろう。
もう痛い思い(大腿骨骨折未完治と床ずれ。プラス、重度の糖尿病と肺癌)をしなくて、楽になったはず。本人は辛かったはず。死顔は穏やかで、この世のあらゆる面倒とは本当に関係なさそうな顔してた。
ばいばい。元気でね。
別の角度から。通夜、式ともにみどり会館(世田谷区運営だと思う、たぶん)で行われて、会場の雰囲気も手伝って慌しい雰囲気は一切なかった。荼毘は幡ヶ谷、代々木上原から近い代々幡斎場だったんだけど、反対にあそこはある意味すごかった。巨大な人間焼却場というか。
荘厳に扉を光らせずらっと並んだ炉に、遺体達は丁寧にかつ速やかに吸い込まれていく。こちらとあちらで焼香と最後のお別れ、隣では炉が開けられ、からからになった遺骨と灰がまだ煙を放って姿を見せたよ。各々の炉の前の床には、余分な灰を捨てるステンレス製蓋つきダスターシュートが装備されている。
棺、遺骨を素早く正確に扱い、炉の前に灰を微塵も感じさせない完璧な掃除をあっという間に終わらせ、遺族達をうまく捌き、遺骨の説明、遺族が拾い終えその残りを白い砂のように壷に収めまでする職員達の手つきと仕事は、驚嘆に値するほどまさにプロの仕事である。全ては静かにあくまでもシステマティックに、無駄は一切ない。無駄があるとしたら、その時間とはあまりにも不釣合いな、綺麗で石なのに妙な温かさを伴った建物内装だろう。
そんな中を、様々な人生をまだ抱えて生きてる者大勢が、黒く入り混じっては消えてを繰り返してた。