受験付近

 受験英語に絡んだ話になる。長くなる。中学2、3年の頃、一橋能開という塾に通っていた、わざわざ高田馬場まで。
 なぜかというと、そこには加藤昭という受験英語の名物教師がいたからで。母が噂を聞きつけ(母の知人の息子さんか誰かが通っていた)→通うことになった。
 加藤氏は一般の参考書からしてみれば異端な、ワンポイントレッスンという汚い手書きの教材を独自に編み出していて(まじ)、それを生徒に徹底的に叩き込ませた。呪文のような公式と呼ばれる文言を、ひたすら音読させるのである。これだけなら奇人だが怒るときも本気で怒る人で、中学生の餓鬼達には恐ろしく、触らぬ加藤に祟りなしくらいの勢い。実際、霊感も売りにしていた。
 傍から見れば、ある意味宗教に近いかも。たとえば中学3年の夏休み、7日間くらいの夏季合宿@苗場のために、親は約30万(確か)をぽんと出す。一橋能開に通っている中学3年生は、ほとんど参加。それくらい、今でいうカリスマ性を持った教師だった。
 今まで出会った癖のある教師の中で、第1位か2位を争うくらい濃かった。
 おかげで私の受験英語 for 私立校はやたら伸び、低めの数学を補う形になって、第一志望の某有名私立大学付属高校に見事合格してしまうのでした。*1
 高校入学後すぐ、加藤氏は一橋能開を辞めビルの一室@馬場を借り、ウイニング受験英語という大学受験向け英語専門塾を興す。教師は加藤氏一人。事務、簡単な質問その他などは、チューターと呼ばれる中学時代に加藤氏に世話になった大学生がこなしていた。私達は第2次ベビーブームの世代でわんさかいる→加藤氏は「これからは大学受験のほうがいける」と考えたんじゃないかな。
 当然、一橋能開卒業生は高校生になっても加藤氏を頼り、そこには懐かしい顔がいっぱい。けれども、高校に入っていわゆる勉強をする気がすっかり失せ、ウイニング受験英語にもあまり行かなくなり、最終的には止めちゃったんじゃないかな。馬場には20代前半までなんだかんだで縁があったんだけど、ウイニング受験英語以来、加藤氏の顔は見ていない。
 高校にも、寝に行くか夜遊びの約束をするために行くみたいになっちゃって(いちおう留年もせず卒業してます。あの高校独自のカラクリがある。詳しく書けない)。高校3年のときなんか、ほとんど毎日午後から学校に行ってた。受験組みは遅刻をつけられないという特典があったため。
 どうでもいいけど、今の大学受験ってほんと楽らしいね。自分の代だと駒大、日大あたりで5、60倍という狂った時代でした。人多すぎ…。
 幸か不幸か散々紆余曲折して、今の人生があるわけで。今思えばこれには加藤氏が結構関わってる。出会っていなかったら、普通に公立高校に行って普通の大学に入って、普通に営業かなんかやってたでしょう。暗い人格も持たざるをえない環境に、3年通うこともなかっただろうし。
 ちなみ後悔はしていない。あれはあれで楽しかった。
 それで、あの人まだやってるのかなーとふと思い、Googleで「受験英語 加藤」と入れたら思いっきり出てきたよ。>> ウイニング受験英語
 娘さんいたんだけど独立してた。年月を感じるなぁ。
 夢かー。こんな年になっても夢というか野望は持ってるけど。
 叶えられる夢は夢ではない。それは実現可能な計画、もしくは将来設計といいます。そこには実現するための努力や情熱が必ずある。よって必然であって夢ではないのだ。←約15年経っての反抗 😀
 あの人、jazz聴いてたのは知らなんだ。お元気そうで何よりです。いつか手紙でも書いてみようかな。
 いつか。


*1
 教科書の勉強はほとんどしなかったので、内申(中学校の成績)は普通よりちょい上くらい。よって都立は全然考えなかった。受けに行かなかったくらい。
 でかい模試などの偏差値がやたら良かった。

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